下校の音楽

音楽は記憶を連れてくる、と誰かが言っていましたが、曲と思い出はしばしば結びついているものです。
私にとってベートーヴェンのピアノソナタ第8番「大ソナタ悲愴」は、ランドセルや小学校の乾いたグラウンドの情景と結びついています。小学校の下校時間を告げる放送が、この音楽でした。
確か放送が流れるのは午後4時半でしたが、このメロディーが聞きたくて、教室やグラウンドにうだうだと居残っていたことがよくありました。
何の曲か知りたくて、高学年になってようやく放送委員の友達に教えてもらったタイトルが「悲愴」。楽器店でチャイコフスキーの「悲愴」のレコードを見つけ、お金をためてレコードを買いました。
ところがワクワクしながら針を落としてみると、全く違う曲。あの落胆は今も忘れられません。そのお陰で何の罪もないチャイコフスキーが、しばらくの間あまり好きになれませんでした。
結局、放送委員の友達が内緒でダビングしてくれたテープをしばらく聴き続けました。下校の音楽はチャイコフスキーでなくベートーヴェンの曲で、しかも3大ソナタとも言われる、初期の有名な作品だったと知るのは、もっと後になってからです。
その後、レコードプレーヤーは壊れ、あのチャイコフスキーのレコードもどこへ行ってしまったことか。でも二つの「悲愴」の旋律を思い出すたび、今も学校が終わる寂しさが甦ります。
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素人の粋

小学校のころ、よく吹奏楽のコンサートやコンクールを聴きに行っていました。
5歳違いの姉が中学・高校とブラスバンドに入っていた影響で、時には電車に乗って1-2時間の会場に足を運んだこともありました。
演奏はハートだなんて陳腐なことを言うつもりはありませんが、例えば高校野球が時にプロをしのぐほど観客を引き付けるような何かが、中高生アマバンドにはあったのです。
コンクールで上位に入る団体は、技術面で優れているのはもちろん、独特の空気感がありました。ありふれた言葉でいえば、まとまり、なのですが、それがもたらす緊張感が客席にまで伝わり、心地よく感じました。
なじみのあるポピュラーミュージックが演奏され、時には仮装やアドリブも楽しめたのがいわゆる定期演奏会。演奏者の楽しそうな表情が、今も記憶にあります。
その後は行動範囲も広がり、プロの演奏のチケットも自分で買えるようになりましたが、今もコンサートといって思いだすのは、あの吹奏楽のハーモニー。演奏者も聴衆も一体となった楽しさが忘れられず、根本的なところで私の音楽観を形成してくれたからかもしれません。
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