グリーングリーン

ジャズにアレンジされた「グリーングリーン」を聞く機会があり、聞きながらいろいろなことを考えていました。
この曲はもとは、米国のフォークグループ、ニュー・クリスティ・ミンストレルズが1963年に歌った曲。
小学校の教科書にも確か載っていて、「二度と帰ってこない」お父さんというのは、一体どういうことなんだろう、と子供心にも重く感じた記憶があります。
この詩は訳詞ではなく、片岡輝氏による作詞。そもそもオリジナルでは、「パパ」ではなく「ママ」が登場すると言います。
私は子供の頃から何となく、この詩に描かれている父親像が、「日本的」でない感じがすることを不思議に思っていました。後になって、訳詞なのだろうと思いましたが、そうではないと最近知りました。
この曲が歌われた時期の時代背景や、片岡氏自身の来歴なども併せ、推測をすることしかできませんが、「なぞ」の多い歌。それがこの歌が長く歌い継がれている理由の一つでもあるかもしれません。
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黒猫

もしもタイムスリップするなら・・・と、考えてみたら。思いついたのは1880年代のパリでした。
例えばモンマルトルの丘の麓にあった文学キャバレー「黒猫」。当時の文芸の発信地だったとされます。
ドビュッシーもこの店の常連だったとか。ここに集まる詩人の詩をもとにしたシャンソンを残していると聞きます。
道立帯広美術館に所蔵されている「黒猫」のポスターを描いたのは、テオフィル・アレクサンドル・スタンラン。作曲家の劇画も描いていました。
文化人たちが交錯していた当時を思うと、店の片隅でいいからその様子を見ていたかった、などと思います。
そんな当時の熱い、文化の交錯を思うとき、ドビュッシーの音楽も広がりを持った違った響きに感じられます。
そんなわけで今日はドビュッシーを聞いています。
「牧神の午後への前奏曲」
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人とボカロと

友人Aがオリジナルの曲を作りました。
しっとりした、唱歌に近いような曲でしたが、友人Bが「これは初音ミクに歌わせよう」と言い出しました。
友人Bは初音ミクを使った録音ができる人で、了解を得て編曲し、それをニコニコ動画にUPしていました。
私にはとても新鮮でした。
まず初音ミクに歌わせる、という発想が私にはありませんでした。
もともとの曲調が全然違うのです。それにBは、初音ミクに歌わせるバージョンからだったら、人気が出る可能性もあるかも、と思ったようでした。
録音の状態が少しBの納得いかないようでしたが、それでも面白いものができあがっていました。
最近は中学生、高校生ぐらいに好きな曲を尋ねると、「ボカロの〇〇・・・」という答えが返ってくることが多くて驚きます。
創作活動を取り巻く環境の変化が、ハードルを下げていると感じます。
それはもちろん歓迎すべきことなのですが、そんな時代にプロはどうあるべきか、そんなことも考えます。
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