若いファンづくり

教育熱心な知人で、自分でピアノの演奏もすることから、子供の音感に実に配慮して子育てをしている人がいます。
ほとんど笑い話のような本気なような、祖父母が調子っぱずれに童謡を歌うと、音感が狂うとたしなめられているとか。
それはさておき、夏休みを前に、子供が入場できるコンサートの情報を見聞きします。東京交響楽団の「0歳からのオーケストラ」、日フィルの「夏休みコンサート」など。
実際、子供と一緒にきけるコンサートというのはそう多くない一方で、子供と一緒に聞きたいというニーズは高いようです。今は大抵の大きなホールには託児サービスがありますから、親自身が楽しむというよりは子供に聞かせたい、ということなのでしょう。
小さいころから本物に触れさせたいという親心と、将来のファンをつくりたい楽団側。楽団の目線も変わってきているのだろうと思います。
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やさしい本

出版不況が言われて久しいこのごろ、部数を伸ばしているという雑誌の編集者が書いた本を読んでいます。
実に誠実に、またあたたかみを感じる内容です。
そしてこの雑誌が実際、素晴らしいのです。
古きよきものも扱いながら、新しい。
働く女性の着る普段着の作り方を示し、それをバレエ団のバレリーナに着てもらって見せる。
作りもアイディアもとても新鮮です。
的外れかもしれないのですが、この雑誌の表紙そのものも、古くて新しい。
深沢七郎の「笛吹川」の表紙を描いた谷内六郎を思い起こしました。
「笛吹川」の表紙は、本の装丁をテーマとした地方の文学館のイベント情報で見たものです。
普遍性というものが、一つのキーワードとなっている時代かも、というのは言い過ぎでしょうか。
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雲庭の書

古いスクラップを整理していたら、赤羽雲庭の新聞記事を見つけました。
王羲之、王献之父子を極めたと言われる書家です。
代表作の「暮山魏峨」の写真も出ていました。1963年。
これは、書というのは分からないと思わせられた作品です。
世間的な「達筆」ではなく、ただ、じっと見ていると味わいがあるような気もしてくるという。。。点画の配置が云々と言ってみても、私の鑑賞ではそのレベルです。
ただ、旅の途中で見た中国の山の印象に基づくと言われると、この書の向こうに、中国の山塊のイメージが浮かぶような気もします。
雲庭はガラス会社の社長で、書で生計を立ててはいなかったと言われます。
そういう背景が作品にどう影響を及ぼしているのか、そのあたりも興味深いところです。
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オルガンの世界

好きな楽器の一つがオルガンです。
教会の楽器としてオルガンが登場して1000年超でしょうか。
神秘すら感じるのはそういう歴史もあるかもしれません。
札幌のキタラの大ホールのオルガンは壮観でした。
北海道の針葉樹林をイメージしているといい、モダンとクラシックが調和しているようなーそういう印象を受けました。
そのキタラのバースデイコンサートが7月に開かれ、フランソワ・エスピナスが来日します。
オルガンの世界自体が一見地味な感じもしますが、世界のオルガニストを輩出しているリヨン国立高等音楽院の教授。世界オルガン紀行と題して、各国のオルガン音楽がプログラムに入っているようです。
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イェイツと能

図書館で文献を調べていて、ノーベル文学賞作家のイェイツに辿り着きました。
ウィリアム・バトラー・イェイツ。アイルランドの劇作家です。
日本への関心が高く、能に高い関心を持っていたことでも知られています。
2年ほど前でしたか、イェイツの戯曲「鷹の井戸」を元にした「鷹姫」が東京で上演されました。「鷹の井戸」は、能の影響が最も色濃い作品。
命の尽きない泉を求めてやってくる若き王子が主人公です。
これはあらすじを書いてしまうと、3行くらいで終わるのですが・・・イェイツが能を愛したのは、写実的でない点とも言われ、これは見るしかないのだろうと思います。
泉が表現しているのは、人間の尽きせぬ欲望。
説明を控え、解釈を観客に委ねるあたり、最近のオペラの傾向を先取りしていたように思うのは穿ち過ぎでしょうか。
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ムーミン分析

新聞の文化欄ということでいえば、かねてより、日経新聞の文化欄が好きです。学生時代にも、日経は実は文化欄が面白い、という話をマスコミ志望の友人とよくしていました。一般紙のテレビ欄に相当するページにあるのですが、話題も緩急、硬軟さまざま、隙間産業ならぬ話題あり、実に多様です。
最近、切り抜いていたのは、森絵都さんの書いた「ムーミンママ再考」(3月9日)。トーベ・ヤンソンのムーミンシリーズは子どものころ熟読したので、自然に目が行きました。
ムーミンパパやママの人物像を、少しだけ社会的?に、分析していて、またムーミンシリーズを読みたくなりました。
森さんいわく、「ムーミン世界の背景には数々の自然災害が仕込まれているけれど(中略)ムーミンママは慌てず騒がずに泰然としている」
あたたかく、包容的でありながら、雨が屋根を打つ音を聞きながら昼寝をし、「自己を回復させるための場所」を持っている、という分析。
この「雨が屋根を」うんぬんというくだり、今でもよく覚えていて、雨の日になる度に思い出していたので、とてもしっくりきました。
…とりとめがなくなりつつありますが、どーんと構えていて包容力に満ちあふれつつ、自分を持っているムーミンママが、ちょっと素敵に思える記事でした。
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和尚の喉歌

最近、お寺で開かれるイベントの案内を散見するようになりました。
檀家が減っているなどの事情もあるのでしょうか。法要や葬儀だけでなく、お寺に足を運んでほしい、などと書いてあります。チャリティーイベントは以前からしばしばありましたが、婚活とか食べ物関係のイベントなどが増えてきたことが最近の特徴かも。
徳島県の現福寺住職の福島聴空さんの喉歌のことが、先日の新聞に載っていました。福島さんも寺に足を運んでもらう狙いで寺でコンサートをするようになり、喉歌を知ったと言います。福島さんの場合は、トゥバ共和国のホーメイで、民族楽器を入手し、最初は「耳コピー」で覚えてやがては知人とユニットを結成するまでになったとか。
喉歌はモンゴルの「ホーミー」を聴いたことがありますが、発声方法が独特で、「文化」としみじみ感じます。現福寺では、中央アジアのミュージシャンも呼ぶようになったといい、地方でそのようなものが聞ける機会を羨ましく思います。
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コンサート初心者

かなり以前の新聞の切り抜きを見ていたら、クラシックコンサート初心者にお勧めの作曲家がいくつか挙げられていました。
目を引いたのはバッハ。
「気持ちを落ち着けたいときに」
そう言われると、そうかもしれません。
ところでこの間、友人とコンサートに行ったら、どこの席に座るか(どこの席を取るか)という話になりました。
友人は、いまだに聴き始めのころと同じように、半ば習慣のように前の方に座ると言います。
ホールによりけりですが、一般的には2階席正面あたりが一番、「いい席」ということになりましょうか。演奏が一番バランスよく聞こえると聞いたことがあります。
春は嬉しい反面、気ぜわしいところもあります。
さて、バッハを聴きましょうか。
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打楽器の世界

子どものころ、吹奏楽のコンサートを聴きに行ってあこがれたのがティンパニでした。習い事というとピアノやバイオリン、ちょっと変わったところでクラリネットとかサキソフォンという人もいないではありませんでした。しかし打楽器はまず身近にやっている人がいません。所有している人といえばなおさらでした。その上、学生の吹奏楽部の打楽器関係の人というのは妙におしゃれな人が多い、と卑近な例ですが感じていました。
そんなことを思い出したのは、先日日経新聞の文化欄で野口力氏の原稿を見たからかもしれません。
元読響のベテラン。原稿の、特に海外の著名な指揮者の回想部分はとても勢いがあり、興奮の渦に巻き込まれるようでした。ハチャトゥリアン指揮の「通常より2倍速いテンポの」「剣の舞」を聞いてみたかったと思いました。
著書「交響的一撃」についても触れてありました。
これは600部を印刷だそう。新聞の原稿の勢いには惹きつけて離さないものがあり、ぜひ読んでみたいと思っています。
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デュトワの展覧会の絵

ムソルグスキーの展覧会の絵を聞いています。
シャルルデュトワ指揮、モントリオール響。
エレガントで上品な・・・これがフランス的ということでしょうか。
ロシア的な荒ぶる感じも好きなのですが、落ち着いて聞いていられます。
デュトワは、指揮者の中では日本人にとっても馴染みがあるのではないでしょうか。
N響や札幌のパシフィックミュージックフェスティバル、NHKの番組などでも、ひところ、よく耳にしました。
趣味の分野でも親日家だと言われていたように思います。
元妻アルゲリッチとの共演も、物語をもってこちらが見るせいかもしれませんが、ベストマッチでした。
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